てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

貧しい時こそ裕福に

ぼくは先日 自分が躁うつであることを明かした。自覚した頃は口にする事を控えていたが、これが自分だと受け入れ、必要のある場面では口にする事ができるようになった。

 

改めて記すと、躁うつとは、いわゆる鬱の状態と、平常心を超えた高揚感のある躁状態の波が、一定の周期や、様さな要因で生じるもの。

 

躁うつの暮らしは、少し楽しい。

 

鬱が重く苦しい時ほど、元気になった時のには喜びと幸せがある。また、あまり良い状態ではないが、躁状態になると、さらに楽しい。頭の回転が早くなったように感じる。好奇心が旺盛で、普段なら思いつきもしない事が頭に浮かび、新しい事にチャレンジする。良くも悪くもチャレンジしてしまうと言っておこう。

 

実は このブログも

軽い躁状態の中で始めた事だった。

 

しかし、

普段ブログなんてやろうと思わないが、そう言った躁の面がある事で、生活に彩りが増えるのは楽しい。

 

他にも、手話を勉強し始めたり、歴史を勉強し始めたり。お金の管理に苦手意識があった時には、躁状態の時に、簡単にお金が管理できる家計簿を作ったり。家計簿と言っても、2つのアプリを駆使した物だが、自分でも良く作ったと思うほどにシステマティックで完璧に作った。その時は3.4時間 集中し、計算し、過去のデータも集めて作った。

躁状態の時は集中力もずば抜けているのだ。

 

そして 本題だが、

貧しい時というのは鬱のことを指している。

 

あまりフォーカスを絞りすぎたくないので、元気のない時や、嫌な事があった時、日常生活における失敗、働く上での失敗。

心が塞いでいる時全般としたい。

 

そんな時こそ裕福に、贅沢に生きるのだ。

 

ぼくの場合、
元気な時は掃除も家事も自炊もできるが、鬱の時にはこれが全部ができなくなる。また、それが悪循環となり、ただでさえ鬱であるのに、散らかった部屋にいると、より一層しんどくなる。

 

また、普段の食べる物もこだわりが無くなり、レンチンご飯とテキトーにお惣菜を買って食べたりしていると、更にしんどくなる。

 

だから そんな時こそ、

少しリッチなお店で外食したり、専門店のテイクアウトでご飯を食べたり。少しでも自分の心を満たす努力をしてみると、内面に向かう沈んだ気持ちも自然と外に向かっていく。

 

ある面、元気な時は自分の力で何でもできるからお金はかからない。少なくともぼくの場合はそうである。


だからこそ、鬱の時には、できる限り惜しげなくお金を使うようにしている。

 

大好きなラーメン屋さんでフルコースのトッピングを乗せてみたり、レストランで食べたいサイドメニューを全部頼んでみたり。

 

写真は普段は行けない、高級レストランのオムライスをテイクアウトした時の写真。

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人の苦労には様々な形があるが、

その悲しみや寂しさ、苦悩や葛藤をいかに耐え抜く事ができるかは、その人自身の価値を高める事になるだろう。

またこれらの中に身を置かれた時に、自分で自分を救済する方法を持っておくのは、1人の大人として大きな武器と言えるだろう。

 

これは子供には出来ないが、
大人には出来る事。

 

ぼくはいつも、

こうして乗り越えている。

 

元気な時はそれだけで裕福。

だから貧しく感じる時には、意識して裕福な生活を勝ち取ることを心がけてみてはいかがだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

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