てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

躁があり鬱がある。

今日は少しだけ

自己紹介をしようと思います。

 

ぼくは今

週に数日だけ働いて、

あとはのんびりスローライフを送っています。

 

というのも、

週5日ばりばり働けない身体

と言うのが大きな理由です。

 

皆様は双極性障害と

言うのをご存知でしょうか。

 

よく躁うつ病なんて表現をされたりします。

 

文字通り、

平常心を超えて高揚感のある躁状態と、

 

おそらく皆様がイメージされる

部屋に引きこもって寝たきりになる鬱状態が

一定の周期や、色々なきっかけで、

生じる病気です。

 

よく、

うつ病に躁状態がプラスされた病気と

と間違われるのですが、

 

躁うつ病の鬱状態と、

うつ病の鬱状態は本質が異なるようです。

 

うつ病を心の病気と表現するなら、

躁うつ病は脳の病気。

 

結果的に似たような状態に収まるので、

どちらも鬱に変わらないのですが、

根本が違えば、取られる対処も変わります。

 

対処というのは治療のことなのですが、

飲む薬が違ってきます。

 

ぼくの知人の話ですが、

お医者さんがうつ病と診断し、鬱用のお薬を出したら、実はその人は躁うつ病で、

 

飲んだ薬の作用で鬱から躁状態にシフトした上、さらに躁状態を悪化させトラブルを起こしてしまったと聞いたことがあります。

 

なぜお医者さんが、うつ病と誤診してしまったかと言うと、躁うつ病の人は鬱の時にしか病院に来ないからですね。お医者さんがその患者に躁状態があることに気づけない事があるみたいです。

 

躁うつ病の人の躁状態というのは、度合いにもよりますが、少なくとも平常心以上。体調がおかしいと言って病院に行く事はほぼありません。

 

ほぼ、と言うのは、周りの人が本人の異常に気づいて、病院に連れて行くと言うケースはあるようだからです。

 

色々と書きましたが、

同じ精神疾患でも、

別物ですよーって言う話でした。

 

社会に出てみると

たまにお見かけしますね。

 

 

 

んー、、

もう少し話そうかな。

 

 

 

自分がこの病気になった事、

受け入れられたのは最近なんです。

 

もうなってから数年は経つんですけどね。

なかなか受け入れられませんでした。

 

「たまたま 最近、自分の中に元気な時と鬱な時があっただけ。今は元気だし、これから先は 元気な自分しかいいないはず。」

と信じたかった。

 

 

躁鬱病は完治がないようです。

生涯 薬を飲んで、その波の度合いを小さくしていくしかありません。もちろん、それで限りなく良くなって社会復帰される方はたくさんおられますが、ぼくの場合 20歳そこそこで、この病気になってしまったので、なおさら。

 

かなり葛藤して、泣いて、悩んで、苦しんで、希望をもったり、諦めたり。自己憐憫に自己嫌悪。夜な夜な外を散歩しながら、今後どう生きていくか考え続けました。鬱状態の時には物に当たってしまうこともあれば、思考を止める為に大音量で音楽を聴き続ける事もありました。

 

これだけ考え尽くして、

辿り着いた答えは、

 

「病気になる前のぼくも ぼく。

   病気になった今のぼくも ぼく。

   それ以上でも以下でも無い。」

 

「下向きになる自由があるなら、

    前を向く自由もある」

 

なんとか自分を納得させ

「どうせ生きるなら幸せに生きたい」

と思えるようになりました。

 

身体から力が抜けて楽になりました。

本当に楽になりました。

 

「自分を拒む事ほど

    苦しい事はありませんでした。

   そこにも自由があるなら、

   自分を受け入れたい。」

 

葛藤し続けた甲斐がありました。

そしたら世界が広がりましたよー。

 

強さを知る意義があるように、

弱さを知る事にも意義がある。

そこに優劣の差はありません。

 

どちらにも、

自分の生きる居場所がある。

ぼくみたいに自分だけを見つめて孤立するんじゃなくて、是非目を上げていただきたい。

そこにはきっと同じような立場の人たちがいて、慰めと励ましがありますよ。

 

ぼくは今幸せです。

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