てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

困っている人募集メール

これはぼくが高校生の頃の先輩が大学に行き、数年後、その先輩から届いたメールだ。

メールの文章は長く、何かカモフラージュされているようにも感じたが、要約すれば「私は今、ボランティアのサークルに所属している。人助けをしたい。だから身近に困っている人がいたら紹介してくれ」という内容だった。

 

このメールを読んで
どのような印象を受けるだろうか。

 

ぼくは
「ボランティアをしてるなんて素晴らしい!」「人助けなんて素晴らしい!」「人脈を上手く使っていて素晴らしい!」とは思わなかった。

 

まずこれから書くことの大前提として、
彼らが善意でこのように動き、働きかけていることは覚えておかなければならない。決して彼の気持ちを否定するつもりはない。

 

ただ、ぼくは疑問を感じただけ。

f:id:TekuTekuLife:20210302185800j:image

このメールを受けた時、率直に感じた事。

それは「いくら若気の至りとは言え、なんとも無責任で傲慢な(内容)だろうか」と感じてしまった。おそらく この意思はそのサークル全体のもの。集団心理と言うのはこうも人を盲目にし、またその心理を正当化してしまうのかと感じたのだ。また、その気持ち自体が善で有る事がより厄介なように感じた。何とも否定しにくい内容だからだ。

 


ぼくは、
メールを返信する前に色々考えた。

 


ぼくの周りには精神疾患を持つ人も沢山いる。自営業の定食屋で自己破産を目前に怯えている人もいる。自己同一性障害に苦しむ人もいた。20代で甲状腺癌が見つかり余命宣告を受け嘆く人もいた。

 

全員 困って悩んでいた。

 

もし「困っている」にレベルがあるのだとしたら、今挙げたのはレベルが高いのだろうか。ではレベルの低い困っている人はどのような人だろうか。

 

犬が脱走した人?物をなくした人?受験が不安な人?お兄ちゃんが意地悪して困ってる人?

どの道 紹介なんてとてもできない。


彼自身の取り組みやサークルの活動は「悪」ではないが、正しくはないと感じ、何通かメールをやり取りしたのち、断った。
今書いたことも少々伝えた。


どこかのボランティアサークルに知人を紹介しては、その人とぼくとの関係が悪くなってしまう。

 

さて、
こんな事は誰も思わないかもしれないが、もしかすると誰かは、「それだけの困っている人と関わりながら、なぜぼくが助けてあげないのか」と呟く人もいるかもしれない。

 

もちろん、
何か頼まれて、ぼくにでも力になる事があれば助ける。しかし、現状そうでないぼくに できる事は、その人の困難を知っても、その人から離れて行かない事のように感じている。


人は闇を嫌うようだ。困っている人ほど孤独になってしまうのは、困る事の自体を知った人たちが彼らから離れて行ったからだろう。

 

何も気負っているつもりはない。

 

あえて言葉にするのは気が引けるが、ぼくが話を聞いて少しでもその人が穏やかになれるなら、多少聞くに耐えない悲しみがそこにあっても、離れず、変わらず一人の知人としてそこに居るつもりだ。特別意識することではないが、それが、友人知人というものだろう。

 

今回の一件は、

大学生の考える机上では美談であっても、残念ながら現場では全く見当違いだったと言える。

 

とは言うものの、困っている人を助けたいと言う気持ちは尊重できる。

 

きっとその人たちは、一番最初に出会う困っている人と、一つの困難を乗り越えた時、初めて人助けの意味を知るのではないだろうか。

以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

毎日 19時に更新してますので、

また立ち寄ってください(^^)!

 

読者登録もよろよろで~す♪