大切なのは「想像力」
これは、
ある福祉に携わっている知人から聞いた話。
福祉に携わる上で大切なのは
「愛情と親切と想像力」
「愛情」ひとつでも良いのでは、とも感じたが、彼曰く実際の現場では前2つよりも「想像力」が大切だと教えてくれた。
一瞬「想像力」と言われても、その使い道はよく分からない。しかし、
その使い方は簡単だった。
「相手の立場を想像して考える」と言う事だ。
福祉には携わった経験のないぼくであったが、それは当たり前のようにも思えた。しかし、必ずしも福祉に携わる人間が皆 意識できているわけではないようだ。
想像力。
相手の立場を想像して考える。実際の現場では「想像し続ける」事が求められるのだろうか。急にレベルが高くなったように感じる。
一対一で向き合い、その不自由に寄り添う人にとって、確かに必要な事のように思える。
ここには、
実際に ぼくが体験した話を綴ろう。
ぼくは当時 趣味として手話を始めた。
最初は本で勉強し、動画で勉強し、そして手話サークルに通い、実際にろう者の方と出会うところまで行った。
もちろん、
実際にろう者の方と関わるようになった頃には、趣味ではなく、コミュニケーションを取りたいという一心で勉強していた。
しかし、
ろう者の方とは 毎週サークルで会い、たまにご飯にも行くような仲にはなったものの、ぼくの使う手話は、手話通訳者や、手話のベテランの方々と比べれると、一線を画して未熟だった。
そして そこには、
明確ではっきりとした理由があった。
それは「母語」の問題だ。
簡単な言葉で言うと、
ぼくたち聴者が手話を使う時、日本語を「母語」、もしくはベースとして、その文法に手話の単語を当てはめる事になる。
しかし、
ろう者の「母語」は手話であり、日本語の文法を持っていない。つまりろう者の手話はボディーランゲージの延長であると言えるのだ。
例えとして 言い換えるなら、
聴者である ぼくの立場というのは、英単語だけを知っていて、英語の文法を知らない状態。英単語を、日本語の文法に当てはめている状態なのだ。当然伝えるのは難しい。
ただ救いなのは、
ろう者の方は、ぼくの使う拙い手話、つまり日本語にただ手話をあてがっただけの手話でも、ろう者の方はだいたい理解はしてくれる。ぼくみたいな人間は多く、ろう者の方も慣れているからだ。
しかし 問題なのは、
ろう者の使う手話は 言い換えればネイティブな英語。英単語だけを知っているだけのぼくには 全てを読み取るのは難しかった。その内容によっては全く読み取る事ができなかった。
どうだろうか。ぼくが直面していた越えられない壁を少しでも分かっていただけただろうか。
そして 話を戻す。「愛情と親切と想像力」
ぼくはろう者が生きている、音のない世界を想像した事がなかった。
そして想像してみた。
本来、親切も想像力も 愛情のうちに集約されているようにも思える。しかし、あえて言葉を分けたのは、そこに特質して意識を向ける必要があったからだと思う。
音のない世界を想像したぼくの目に写ったものは、まるで別世界だった。感じるものは人それぞれ、読んでいる方にも、ろう者が生きている音のない世界を想像してほしい。
ろう者の使う 手話の表現が、聴者と異なる理由がよく分かった。手話を理解するには、日本語のない世界でコミュニケーションを取る必要があったのだ。
そして、
その日から、ぼくの使う手話はネイティブに近づいた。手話通訳者と、手話のベテランな人たちが なぜ上手に手話を使っていたのも理解できた。彼らもきっと、ろう者と共に音のない世界でコミュニケーションをとっていたのだろう。
「愛情と親切と想像力」
別の国で、相手の立場に立って考えるというのは「相手の靴を履いてみる」と表現するようだ。
想像力。
福祉に限らず、あらゆるコミュニケーションの中に大切な事なのかもしれない。
最後まで
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