てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

愛情は連鎖する

昨日投稿した「自己肯定感について」の中で

愛情は連鎖すると言う事を書いた。

 

今回の記事。

偏見が強く、

ネガティブな表現が多いです。

読みたくない方はここまで。

すみません。

 

 

 

 

昨日の繰り返しになるが、

愛情を受けた子供は同じように子供を愛せる。

愛情を受けられなかった子供は同じように子供を愛せないと書いた。あくまでぼくの目から見た一般論なので、いくらでも例外はあるが、その例外の一つとなるためには、自分の立場をしっかり知る必要があるだろう。

 

それでは、今現存する その連鎖はいつから始まったのか。ぼくは第二次世界大戦ではないかと考える。決して卑下するわけではなく、悪く言うわけでもないが、戦争を経験した人たちには心の傷がある。

そこから得るものもあれば失うものもあるはず。それは誰にでも言える話だが、ぼくの祖父を見ても そう感じる。

 

少なくとも今の時代、そう言った「愛情」なんて言葉は胡散臭がられたり、口にするのも恥ずかしいような風潮がある。

そんな時代の中で、愛情を持って子供を育てる親が増えるのか、減るのかと言えば、前者でない事は確か。

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至って個人的で正直な話、

非常に歪んだ者の考えなのかもしれない。

もう一度言うが、

気分を害したくない人はここまで。

今回の記事だけは許してください。

 

 

 

 

 

ぼくは親になりたくない。

何で大人は人生がつらい事を知っていながら、同じように苦しむ子供を作るのか分からないのだ。ぼくはこれ以上身近で叫び涙する人を見たくない。

 

愛情の連鎖。

ぼくはきっと子供を愛せない。ましてや、人の親となり人を育てるなんて。そんな責任重大な働き、ぼくはできない。

ぼくの目には子供は、無力で惨めで見ていられない。自分で生きる環境も選べないのだ。

 

ある人は「実際に子供が産まれれば、その気持ちは変わるよ」と言ってくれた。

しかし、虐待などのニュースを見れば、その気持ちが変わらない親がいる事は明瞭。気持ちが変わるか変わらないか、そんなギャンブルをして良いわけがない。

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こんな事を書いているが、

ぼくは今、幸せに生きている。

この先どんな事があっても幸せだと言える

とどこかの記事で書いた。

どのような障害を負ったとしても。

 

 

しかし、必ずしも生まれてくる子供がぼくと同じように幸せを感じる人間とは限らない。

 

そんな後悔に打ちひしがれる中で、生まれてきた子供に「どうして産んだの?」なんて言われたら、身も心も持たないだろう。

生涯をかけて償うのだろうか…。

 

外に出ればいくらでも若くして子供を持つ人たちが沢山いる。言い方は気をつけなければならないが、中には やんちゃそうな人や、本当に子供の親とは思えない人も。

しかし、子供の親をしていると言う点で、ぼくはどの人にも頭はあがらない。

 

 

しかし 元の話に戻ると、

自分の産んだ子供を愛さない親もいるはず。ぼくは、そんな人は本当の意味での親ではないと考える。親になる前に自立した大人であり、ある程度の善悪をわきまえなければ、形だけの親。

中身は子供だ。

 

他の家族のことなど、考えるだけ無意味だろうが、一つの意見を持つくらいの自由は許されているだろう。

 

 

 

 

 

分からない。

何もかも分からない。

 

 

 

 

 

今生きる親御さんは、ぼくの悩みを全て負い、覚悟した上で子育てをしているのだろうか。

 

ぼくは産まれてくる子供のためを思って、子供は作らない。それが今のぼくにできるせめてもの償い。

 

ぼくの中に何か

呪縛があるなら解いてほしい。

 

特別悩んでいる事ではないが、ゆくゆくは行き詰まる事であると覚悟している。

 

結婚=出産

であるのなら、

ぼくは人生を迷うだろう。