てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

怒りが消える

親の不注意で歩けなくなった。

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不注意と言っても、なにかしらの障害が出ると分かってたんじゃないかな。

 

 

 

 

そして少しずつ体に異変があった事にも、

気づいてたんじゃないかな。

 

 

 

親への不満は最初、何もなかった。

 

でも、歩けない不便さや、他の人とは違う苦しみが深まるにつれ、不満だけじゃなくて、怒りや、憎しみもふつふつと湧き上がってきた。

 

ただ 皮肉なもんで、親をどれだけ憎んでも歩けるようにはならない。それでも親を妬ましく思ってしまう。どこか、そこに自分の正当性を見出していたのかも。間違った事はしていない。

 

いったい どれだけの時間、この感情の中をさまよっていたのだろう。どこか自分でも無駄なことをしていると気付いていた。でも、親の不注意と自分の身体に起こった事が受け入れられなかった。

 

ある時は大声で叫んで物に当たった。木製バットで地面を殴った時には、バットが折れ、折り畳み式のベットはぐにゃりと曲がった。しかし、当然 物に当たってもスッキリしない。なんせ根本的な解決はそこにないから。当然 ぼくの怒りはバットに対してのものではなかった。

 

しかし そんなある日、冷静になったぼくは、現実がどうなれば自分はすっきりするのかと、これまで意識していなかったゴールについて考えてみた。


そして1番最初によぎったのは、親も同じ目に遭ったらスッキリするのか?と言う事。しかし、ぼくが願うのはそうではなかった。ぼくの願いは自分が歩けるようになる事。ぼくは自分の怒りと自分の目的の間に、微かな矛盾を見出すことができた。

 

その瞬間、親を憎むなんて時間の無駄。自分自身も嫌な気持ちになるだけだと確信した。

 

そう思えた瞬間 なんの恥じらいもなく

「自分も立派な大人になった」

と感心してしまった。

 

ぼくの怒りには目的がなかったのだ。

 

そして、その時の自分に残されていたのは、何とかして、この不自由受け入れ、歩く練習をする事だった。

 

繰り返しになるが親を憎んだって、自分が歩けるようにはならない。そんな時間があるなら、少しでも自分にとってプラスになる事をしようと決めた。

 

そして、練習を繰り返す内に、色々な感情が芽生えた。悪い感情ではない。自分で自分を受け入れられた事で胸がすき、清々しい気持ちだった。自分が今、前向きに歩んでいる喜び。やはり、自分の中の好転的な変化は気分の良いものだった。

 

実は、親はもちろん兄妹ですら、ぼくが歩けなくなっていた事を知らなかった。もしかするとちらっと耳にしていたかも知れないが、少なくとも気にしてはいない。いつか会う日までには、何食わぬ顔して、歩けなくなっていた事なんて気付かれないようにしたい。

 

これはぼくの心の話。
今ではすっかり歩けるようになっている。ただ、ぼくの足はまだ成長の途上。どんな困難でも自分の足で乗り越えていく力があると信じてる。

 

今のぼくに怒りはない。

 

もし1つの怒りが芽生えた時、自分が願う目的はなんだろうか、自分の願う結果に向かうものなのだろうか、一度冷静になってみる。バットを折ったぼくが言っても説得力はないかもしれないが、怒りのコントロールは、ただ一人、自分の頭の中でどうにでも変えられる。矛盾が見つけられたなら、自分の願う道に軌道修正して再スタート。

 

一人の人間として、

その出来事は大きな糧になるだろう。

その積み重ねが大人から大人へと成長させる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

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