てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

自己肯定感について

内容的に書きたい事が

たくさんあったので、木の本数で

1.2.3.4.5みたいな感じで書いてみました。

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本屋の自己啓発本のコーナーに立ち寄ると、ここ最近「自己肯定感」についての本が、たくさん出てきているように感じる。硬い内容の本から、優しいフォントで行間を開けて書いてある本まで。

きっとニーズがあるのだろう。

生きづらさを感じる人たちが

増えているのだろう。

 

自己肯定感の低さというのは、もちろん後天的なもの。HSPと言う、生まれつき外的な刺激に敏感過ぎるというものもあるが、自己肯定感とは別として話を進める。自己肯定感の低さというのは、原因は生い立ちだと言い切って良いだろう。さらに付け加えるなら、子供を愛する親が減ってきている事を如実に表しているのではないだろうか。

ぼくはそう考える。

 

ぼくは愛情というものは連鎖するものだと感じている。親から愛情を持って育てられた子供は、同じように親となった時、子供を愛する事ができる。それは知識云々ではなく、言わずとも知っているのだ。

 

しかし 反対に、親からの愛情を受けられなかった子供は、大人になった時、子供をどのように愛せれば良いのか分からない。

 

そして、親からの愛情を知らず、誰からも褒められず、自分がしている事が正しいのか間違っているのかも分からず育った人。人の目を基準として生きてきた自己肯定感の低い人は、当然 自分をも肯定する術を知らず、社会というあまりに自由の多い環境では右も左も分からなくなってしまうのだ。

 

そこには成功体験の

有無というのも関わってくるだろう。

 

実は、ぼくも自己肯定感が低く、生きづらさを感じている人間の1人。地に足がつかないまま、月日だけが経ち、事あるごとに自分の生き方を模索する。自分が正しいのか、肯定して良いのか、どのように評価して良いのかが分からないのだ。当然、人の生き方を真似しても上手くいかない。

世知辛くもこれが現実。

きっと、

こう感じるのはぼくだけではないはず。

 

紛れもない事実として言いたい事は、元を辿れば悪いのは自分でないという事。しかし、現状残されている自分の選択肢は自己嫌悪と自己不信。さらに拗らせればそこに自己憐憫も加わる。解決がないまま、得体の知れない不安に苛まれ自分の殻を硬くしていくのだ。

 

しかし、ぼくはそんな生き方から、

少しずつ地に足をつけようとしている。

どのようにしてか。

 

全く立派なものではないが、

ただ1つの考え方だ。

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その考え方、ここまでの書いてきた至って淡白で固い表現とは打って変わるのだが、

 

 

ずばり、

「こんな人間もいるんだ思考!」

 

とぼくは呼んでいる。

悩み考えた末生まれたオリジナル。

 

何をするかは その名の通り、

「こんな人間もいるんだぞ!」

と少々雑でも良い、乱暴でも良いから自分を肯定するのだ。また、堂々と主張するのだ。

 

「こんな人間」というのは自分を卑下しているわけではなく、あっけらかんとした自分を認識するための表現。

 

先ほど、自己肯定感というのは生い立ちだと言ったが、それだけ長い年月をかけて培ってきた自分の人格というのは、1日2日では変わらない。むしろ同じだけの時間をかけて矯正していくつもりで取り組まなければならないのだ。でなければ、気づけば元の自分に戻り、気づけば熟読したはずの自己肯定感を養うめの本は化石となるだろう。

これは趣味や暇つぶしではない。自分を変えたいと切に願う者でなければ乗り越えられない、これまで出会った中で最も分厚い壁である事を忘れてはいけない。

 

本に書いてあるかプロセスを一つ一つ継続してクリアできる人はいいが、そんな人はなかなかいない。意識する事が多すぎて、目的がなんであるかも見失ってしまう。そしてぼくが行き着いたのは、このただ一言。

 

本来の目的は、自分が自分を認識し、肯定し、主張する。何かができる自分ではなく、仮に何もできなくても、自分という人間をはっきりと持つ正しい自尊心を養う事。

繰り返しになるが、何かができる自分ではなく、何もできなくても それも自分の一面として認める。そこに正しい自尊心があるのだ。

 

この考え方。

至って単純で、文字通り自分の頭の中で繰り返せば良い。

 

もうとっくに乗り越えたが、

ぼくには忘れられない記憶があった。

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ある楽器の演奏会に参加した時の事。

普段サックスをケースにしまう時、楽器の音が出るベルの中に、楽器を掃除するための道具を入れていた。しかしその事を忘れ、演奏する時にその掃除道具を入れたままステージに立ってしまったのだ。自分の演奏する番となって息を入れた時にはもう手遅れ。

全く音が出ず、頭の中で悲鳴が上がった。バレないように…なんて思ったが不可能。演奏も終盤、やっと隙ができたので、急いでその道具を取り出したのだが、絶望…「あんなに練習したのに…」という感じだった。恥ずかしかった。

 

その時の失敗による自己嫌悪は、ぼくの中にある自己肯定感の低さにさらに重くのしかかり、どれだけの月日が経っても忘れられない記憶となっていた。

 

しかしある日、「こんなミスしちゃう人間もいるんだ!」と開き直る事ができた。そうなると ため息をついていた自分はどこへやら、「あぁあ〜、あれは忘れられないな〜笑」と、その時の記憶は笑い話となってしまった。

 

自己肯定感の低い人は、自分を否定する事を恐れ、失敗を恐れる。自分の中に肯定するものがないと、失敗は自分を全否定することに直結してしまうから。

しかし、あんなミスしちゃったのも自分だと初めて肯定できた時、その失敗は自分を全否定するものでない事を知った。

 

 

その時、ぼくは さらに開き直り、その時聞いていたお客さんに心の中で「こんなミスしちゃう人間もいるんだよー!初めて知ったの??それならあなたの人生経験としても益となったでしょ〜笑」なんて思え、この記憶とは明るく別れる事ができた。

 

開き直る:

急に態度を改めて、後ろ向きだったところから正面に向かって勢いよく向かう事。

ふてぶてしい態度になる事。

 

この言葉は、あまり良い意味には使われないが、自己肯定感の低い人に必要な力。

 

ぼくが落ち込んでいた時、あるおじさんは「世の中厳しいことばかりやで、ふてぶてしく生きなかんぞ!繊細なままでおったら、立っとられんでな !」と激励された事がある。

 

ぼくに足りないのはこれだと痛感した。

太々しく生きよう。

 

ある人は「鈍感力」というテーマで本を書いているが、これもまた自己肯定感の低い人間が手に取るべき一冊だろう。

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自己嫌悪に陥った時、

嫌な自分を受け入れられず拒んでしまう。

そんな時には、

「こんな人間もいるんだ!自分はこういう人間なんだ!覚えておけ!ぼくに出会った事は忘れるな!あなたの人生経験の1つになったんだからな!」とふてぶてしく、堂々と自分に言い聞かせるのだ。そして周りの人間にも言い放ってやれば良い。

いや、口にすることは勧めない。

心の中で叫ぶのだ。

 

 

そう叫んでいると、自分という人間の輪郭がはっきりしてくる。今まで掴みどころがなく、あれもこれも自分の責任に感じていた事が、自分のものか、他人のものか分かるようになってくる。

 

こう考えるようになって、

ぼくは格段に生きやすくなった。

 

これは何も失敗した時にだけ使うフレーズではない。

何か名誉な賞を取った時、

「どうだ!これがぼくだぞ!」

と叫べば良い。

 

自分を出す事を恐れる人。

事あるごとに、

毎回、毎回、毎回、こう叫べば良いのだ。

日常生活の中でも いつも繰り返せば良い。

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自己肯定感というのは低すぎず、高すぎずというものではない。自己肯定感というのは高ければ高いだけ優れているのだ。

 

また生い立ちの話に戻るが、自己肯定感、自尊心というのは本来、他人から、いや、親から愛され褒められ培われるもの。

なにかできるから愛される。何かできないから愛されないというのは愛ではない。一つの命として健気に生きているだけで、本来は愛されるべきなのだ。それを知らない人間が多すぎる。だから、このようなジャンルが確立されるのだろう。

 

たまにはミスするのも仕方がない。恥をかくのも仕方がない。しかし、それらは決して自分という人間を否定するものではない。

行き場もなく無意味に自分を責めるほどの苦行はない。そこに生産的な物は何も生まれない。

それなら、少々雑でも良いから、「こんな人間もいるんだ!」と自分を受け入れ、肯定し、前に進ませてあげる方が、よっぽど生産的で、実は社会があなたに望んでいることではないだろうか。

 

ぼくが悩み、

考えた事は ほとんど全て書いた。

 

また、ここに書いた事は、

ぼくという成功事例がある事も覚えてほしい。

必要としている人に読んでいただき、

少しでも助けになれたら本望。

 

日々、絶え間なく

「こんな人間もいるんだ!」と

自分を肯定し続けてみるのはいかがだろうか。

 

では。