てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

幸せの形は変化する

このてくてく日和というブログを始めて、

幸せという言葉を使って何度か記事を書いてきましたが、今回もそんな事を思いめぐらせながら書きます。

 

自由な時間が許される今だから思うこと。

 

ある人はいつも喜びがあり楽しみがあり幸せに生きている一方、いつも不平不満を呟きながら生きている人がいる。

 

しかし実のところ後者は、気づかないだけで自分が満足するために生きていると言えるのだ。と言うのも、自己満足と言うとマイナスなイメージがあるかも知れないが、いくつかの選択肢を前にして、自分が不満を感じる方を選ぶ人は一人もいない。また、誰かのためではなく、どんな時でも自分の満足している方を選んでいる。しかし、その自己満足を忘れて理解していないと不平不満が募る。そこに他人の意見はなく、自分で決めている事であるのに。

 

自分は自分のことを思い、自分が満足する方を選択し、決定している。

もしかすると、自分が最も望む結果に至ってないかもしれない。しかし、その望みが叶わない中で、1番良いものを選びとっているのだ。自分の選択が、自分にとって最善である事を意識するだけで、今の生活は少し上向きになる気がする。

 

そして、今回のテーマとしている、「幸せの形」である。漠然とした夢として、幸せになりたいと願うのは人間の常である。そんなものは叶わないと、最初から望む事を放棄する者もあるだろうが、幸せになる事はそんなに難しいものではない。

 

自分にとって何が幸せなのか、本当にそれを得れば幸せなのか、具体的な幸せの形に気づくだけで良い。

 

本当に恥ずかしい話であるが、

ぼくの父親は夜食としてインスタントの味噌汁にご飯を入れて食べている時が1番の幸せだと言っていた。母親は料理の得意な人であったばかりに、それを聞いて腹を立てていたが、父親はそんなちっぽけな事に幸せを見出していたのだ。

 

もし仮に、現実的でない幸せを追い続け、疲労困憊になりながら とうとう幸せを得る事が出来ずに苦悩するのであれば、毎晩の小さな楽しみに心満たされ幸せを感じられる人間がいるのも悪くないように思える。

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ここでは幸せと、将来の夢とは区別したい。

少々この2つの性質は異なるから。

 

そして、「幸せの形」としてもう一つ言いたい事は、それは 日々形が変わるものであると言う事。 一年前の幸せが、今も幸せかと言うとそうとは限らない。先月までの幸せ、昨日までの幸せ、大切なのは今の自分が何に幸せを感じているかだ。

 

ぼくはこの事に気づく前 こんな事があった。

金曜の仕事が終わると、いつものドライブコースを走り、途中甘いものを食べながら家に帰って行く事がとても楽しく、あまり意識していなかったが そこに幸せを見出していた。

 

しかし、そんな習慣がある中で、あまり気持ちが乗らない時も、きっと行けばいつもの気持ちになれると行くも、案の定楽しくない。次の週も、その次の週も、これまであんなに楽しかった事が もうそこに自分を幸せにする喜びは無くなっていたのだ。つまりその時の自分が感じる幸せの形が変わったのだと感じた。その後は、自炊する事を楽しみとしたり、ジムでトレーニングする事に喜びを感じたり、自分にとっての幸せは変わり続けた。

もちろん1つである必要はない。

 

これまで幸せを感じていた所に喜びがなくなったのなら、次はどこに幸せを感じられるのか見つければ良い。いつも今の自分にとっての幸せを把握し、知っておく事は人生を楽しむ一つの鍵となるかも知れない。また同時に、最初に挙げたように、基本的に人間は自分にとって満足のいく選択をしている事もベースとするべきだろう。

 

幸せの形は日々変わる。

今の自分にとっての幸せは何ですか?

 

 

 

では今日はここら辺で。