てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

幸せへの疑心暗鬼

ある本にこんな女性が描かれていた。

 

「他人の不幸は蜜の味」

「他人の幸せは猛毒の味」

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言葉の意味は分かるだろうか。

簡単に言えば、他人の不幸は喜び、他人の幸せは喜べない。

他人の不幸を見る時「自分はそうじゃなくて良かった」とか、「そうなる可能性もほとんど0だし良かった」。その反対に、「この人ばかり幸せになって」「早くその幸せが崩れ落ちれば良いのに」あえて言葉にすると生々しいが、多かれ少なかれ、このような感情がの存在を疑い、また事実であると断言する。

 

現に「盛者必須」「驕る平家は久しからず」

なんて言葉もある。幸せはいつか崩れる。そして幸せな人の周りにいる人たちはこれを願う。

 

この現実を被害妄想の中で見る主人公は、どのような形で自分の幸せが崩れ落ちるのか、幸せであるはずの日々の中で怯えて過ごす。疑心暗鬼に陥り、何をしていても心休めることができない。

 

彼女の中には、「自分には必ず、今の幸せに見合う不幸が降りかかる」と言う確信があるのだ。

 

被害妄想は収まらない。

私生活においても、社会生活においても、自分を嫉妬し、自分の不幸を願う人たちに囲まれ生きていく。平凡に生きる人たちの深い恨みを一身に背負っている気持ち。

 

突然不幸が訪れるのではないかと言う思考の中には、幸せを築くのには時間がかかるけど、幸せが崩れるのは一瞬と言う確証がある。

 

過度な被害妄想。あり得そうにもない事ばかりを想定し、自分を追い詰める。

そして精神のバランスが狂っていく。

 

物事が順調に進みすぎるが故の不安。

 

そんな中彼女は、人に対して自分が不幸だと言える事に安心感を持つ。追い詰められた心は解放されて気が楽になれる。

そこには、やっとは自分は人に対して蜜を提供することができたと言う喜びと安堵。

 

他人の不幸は蜜の味がする。 しかし、その蜜の甘さや心地良さは人それぞれ。ある程度の幸せを築いている人にとっては、さほど大きな甘みはない。しかし反対に、不幸の中にいる人にとっては濃厚で甘みの深い蜜の味がするのだと彼女は言う。またそこには、その他人が不幸に陥る落差によっても味の愉しみ方が変わると。

 

その結果、彼女は誤った道に進む。

自らを不幸に仕立て上げるために細工し、最後には有能で愛情深い夫を完全犯罪によって殺害する。そこに手向けられる他者からの深い憐れみに彼女は心落ち着かせるのだ。

 

そしてその時の心境を彼女は、その蜜の味を誰よりも堪能したのは自分だと告白する。

 

彼女の被害妄想は全て自分自身の心境からくるもの。彼女自身が「蜜の味」や「猛毒の味」を知っているが故の話。しかし、彼女はそこに過度に意識しすぎた故に、ど壷にハマっていく。

 

見るに耐えない結末であるが、物事には明るみに出るべきものと、出るべきでないどころか、触れることもしない方が良い事もあるようだ。

彼女は触るべきものでない物に意識を取られ過ぎたのかもしれない。

 

何事も偏った見方は生き方を変える。

自分は今なにを意識し、両目でなにを見ているだろうか。深呼吸して自分の胸に手を当てる時間があっても良いのかもしれない。

 

以上。