依存先を増やす
ある本のどこかに
「自立とは依存先を増やす事」
と書いてあった。
ぼくが知るのが遅く、この言葉を既に知っている人もいるだろう。最初ぼくがこの言葉を見た時は違和感というか、疑問というか、衝撃を受けた。
ぼくは、あまり深く考えた事はなかったが、自立とは他者に依存しない事と理解していた。
しかしここでは「他者への依存を絶っていくのは孤立を促す事」だと言っている。
これは肯定的に考えることができた。
ではここでどのような形での自立が勧められているかというと、まず一般的に考えられる自立と言うのは親からの自立だろう。
決してどのような状況が良く、どのような状況が悪いというわけではなく、客観的な視点で考えると、金銭的な依存にはじまり、暮らしに関わる依存、精神的な依存などが挙げられるだろう。
あらかじめ言わなければならないのは、ここで言う「依存」とは、離れたくても離れられないとか、それなしには生きられないと言う闇のある意味合いではなく、「ただ頼る」と言う面が強調される。これも立派な「依存」と言う言葉の意味である。
そう考えると、先に挙げた言葉もフラットな意味合いとして理解することができるだろう。
冒頭で挙げた「自立とは依存先を増やす事」という考え方は、まず大前提として「人は依存なしに生きていけない」という事が根本にあるようだ。これもまた肯定的に考えることができる。よく「人は1人では生きていけない」と言う言葉も同意義だろう。
話を戻し、親からの自立を考えると、親から自立をすると共に、金銭的な依存先は会社に向けられ、親に頼る人間関係は友人や知人、恋人や結婚相手へと向けられる。精神的な依存も然りである。あまり「依存」と言う言葉を使うと違和感を感じるかもしれないが、確かにある程度自立した自分の身の回りを見てみると、決して一人で立ってはおらず、誰かしらに支えられていることに気付かされる。
それでは、今後 自分が依存していると言う理解で生きるとしたら、どのような利点があるのか気になる。
まず一つ挙げられるのは、自ら自立を意識して前進する事ができるのではないだろうか。自分が誰に依存しているのかを把握する。おそらく、ここで勧められるのは、一人に大きく依存するのではなく、多くの人に依存を分散させる事だと考えられる。誰かを失った時に、自分も共倒れするのではなく、別の所にも比重があるからこそ、倒れずに済む事があるだろう。
そして次に思いつくのは、人間関係において積極的に生きる事ができるのではと考える。人脈と言っていいだろう。これまで親の背中しか見た事がなかった人間が、多くの人と関わり、多種多様な考え方の中で揉まれていくのは、確かに自立への第一歩と言えるだろう。友人知人としての人間関係や、仕事を教えてもらえる上司との人間関係、これまで多くの感銘を受けてきた、学生時代の先生との人間関係。
ここまで書いてた事は自立を促すものであり、また同時に今後の自立を意識するためのものと考えている。
「自立とは人間関係を断ち1人で生きていく事」だと考えるよりも、前向きで、今後の希望を見出すことができるように感じる。
「依存してはいけない」という考えで、成長を考えるならば、今あげた人間関係を全て断つことになる。それはまさに孤立そのもの。
あまり依存という言葉を毛嫌いせず、自分は人に助けられながら生きているんだという事に気付きたい。
以上。