てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

練習と目的。

ぼくは趣味でサックスを吹く。

学生時代に吹奏楽部で吹いていた。

 

しかし、個人的に楽器に興味があったかと言うとそうではない。それは身近に楽器をやっている人がいたから。

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ぼくの父はトランペットを吹いている。

地域のどこの楽団にも所属していないが、おそらく、この県のアマチュアの中ではトップレベルだと噂されるほどの腕前だ。

 

そして母はピアノを弾く。

母がいつからピアノをしているのかは分からない。家に置いてあるピアノにも普段触ることもしないが、一度弾くとなればなんでも弾ける。

母いはく、感覚で弾いているから楽譜も読めないとの事だが、にわかには信じ難い。

 

そしてその2人に感化されてトロンボーンを始めたのが兄だった。兄もまた覚えの早い人間で、器用に賞を取りに行くほどの腕前だ。

 

そして次はぼくの番となった。

自然な流れで、ぼくがどの楽器を吹くかと言う話になり、ぼくはサックスを選んだ。

 

トランペットとトロンボーンは金管楽器というように仲間分けされる。他にもホルンやチューバなども金管楽器だ。

その一方サックスは、木管楽器として分けられる。他にもフルートやラリネットなどが同じ分類だ。

 

なぜぼくがサックスを選んだのか。

ぼくの目には父も兄も手の届かない所にいる存在。とてもじゃないが、同じ土俵に立って比べられるのはごめんだと考えたのだ。

 

その判断をしたのは、ぼくが中学生の頃だが、我ながら賢明な判断だと今でも思う。

 

そしてぼくのサックスライフは始まった。

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その頃からの軌跡をたどると、本題に至るまでに時間がかかるのでさっそく本題だ。

 

世の中には、この練習も目的という話はありふれていると思うが、この楽器の世界にも存在する。

 

単刀直入にぼくの考えを話すと、練習する目的の根本は、楽器から出るすべての音を統一させるためだと考える。楽器というのは思っている以上に複雑で、同じようにボタンを押せば、同じ音色で音だけ変わるかというとそうではない。

低くなればなるほど、品のない音になったり、高い音になればなるほど耳障りなやかましい音になったり。

 

ではその状態で指だけが正しく動き、曲を吹くと、曲としての完成度は低く、統一されていない音色というのは、まさに素人そのものの演奏となる。

 

ぼくはプロと呼ばれる人たちの一つの条件は、いかなる時にも、ある程度のアベレージを保ち、求められるパフォーマンスをこなせる事にあると考えている。

 

つまり、普段からの練習により、全ての音に統一があり、どのような楽譜を吹いても、正しく楽譜を読めば、ある程度クオリティが出せる状態。

 

練習という言葉が一人歩きして、練習曲をうまく吹くための練習になっている人が非常に多い。どのような練習であれ、曲を美しく吹くための練習であることの意識は忘れてはいけない。

 

そんな事を言っているぼく自身が、最近この問題にぶち当たっていた。練習では綺麗な音で吹けるのに、曲になるとうまく吹けない。まさに本末転倒である。

 

また、この練習と目的という問題は、同じように色々な場面で役に立つはず。目的意識のない練習はもはや意味がないと言っても良いかもしれない。

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もう一度大切な事を教えられた。

では今日はここら辺で。