てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

達成感をコントロール

何事も取り組む上で目標というのが必要となってくる。目標を決めて取り組むのと、目標なしに取り組むのとでは、その内容はおろか、それがいたる結果も変わってくるだろう。

 

小さな体験談であるが、ぼくが中学生の頃。

夏休みの課題にとんでもない量の課題を出す先生がいた。ぼくは勉強が嫌いだったため、夏休みの宿題は、最後の一週間が勝負だった。そして来た最後の1週間。ぼくはその課題をがむしゃらにこなしていった。しかし、その課題がどこまでかは分かっておらず、ただ大量に進めるという事だけが頭にあった。漠然とした、「どれだけ進めても終わらない量」という事だけが頭にあったため、終わりは気にせず果てしない道のりを辿っていたのだ。その時のモチベーションと言うのは、終わりのない見えない敵と闘っているようで、何ともモチベーションが上がらなかった。

そして、何処までやるのか気になり課題の範囲を見てみると、今進めたところから残り2ページだった。その時やっと終わりが見え、見えない敵が見え、新たなモチベーションで課題を終わらすことができた。

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ここで言いたい事は「達成感」の話ではなく、何事も目標設定が必要という事。このまま、課題の範囲が分からず、範囲以上のことをしていては元も子もない。社会に出ると、意外とこの目標設定が曖昧なところが多いように感じる。漠然とした高い目標に向かうよりも、必要にあった目標を明確にするのとでは気の持ちようも変わる。中には全て理解した上であえて目標設定を出さず競争させる時もあるかもしれないが、それはまた別の話としよう。

 

そして次に、「達成感」の話。

達成感には、一番最後に得る達成感と、その途上で得る達成感があるが、今回テーマにした「達成感をコントロール」と言うのは、この途上で得る達成感のことを指している。

 

なぜこの達成感をコントロールする必要があるのか。それは人の感じる達成感は自由であるが、達成感を得るに相応しい場面と相応しくない場面があるからだ。

そこには主観的で自己満足で得る達成感と、客観的で相対的にみる達成感がある。

 

ぼくは自己満足の達成感が悪いとは言わないが、そこには落とし穴もあるように感じる。

 

先ほど挙げたぼくの中学生の頃の思い出。この主観的と客観的にみる例とするなら、本来20ページある課題に対し、毎回半ページを終わらせるたびに達成感に満ち休息していては、20ページの課題を終わらすには先が思いやられる。ぼくはこれを「相応しくない達成感」だと思う。

に対して、20ページの量を把握し5ページ終わらすたびに得るのは「相応しい達成感」だと考える。

 

そして、もし自分が達成感を得ているのなら、それがどちらに属するものなのかを把握する事は、意義深いのではないだろうが。

 

主観的か客観的か。自己満足なのか相対的な評価なのか。自己満足の達成感に囚われていては、見るべき目標も見失ってしまうから、そこに注意が必要だ。

 

自己満足を感じる事はモチベーションに繋がり、目標へとぐんぐん近づくキーとなる。

 

ぼくはこのようにして、達成感を自分の手でコントロールしてく事は何かを取り組む上で大切なことのように思える。

実はまだこう考えるようになって実体験をしていません。今度資格を取ろうと思うので、この事を実践してみようと思います。

 

 

 

 

以上。