てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

全ては自分のため思考

ぼくはこんな事ができる事を知らなかった。過去の嫌な記憶は泣き寝入りの他ないと思っていた。しかし、悩みをどうにか前向きに処理できないかと試行錯誤する中で、気づいたらその記憶の壁を乗り越えていた。

 

すぐに振り返り、

自分がどのように考えたのかを思い出した。

 

そして見つけたのが「全て自分のため思考!」

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記憶の中のぼくはいつも被害者だった。思い出せば哀れな自分の姿が目に写り見るに耐えなかった。そこには当然、自己嫌悪や自己憐憫があり、苦しかった。

 

しかし、それらの出来事によって、今のぼくが存在しているのだと確信した時、ぼくの周りを取り囲んでいたそれらの記憶は、全てぼくの手中の中に置き換わった。

 

これまで自分を惨めにしていたものが、自分を成長させる糧に変わったのだ。

 

果たして世の中にこのような考え方があるのか分からないが、ぼくはこれが1つの手段になりうると考えている。

 

過去起きたことの全ては

今の自分を成長させるため。

 

 

 

これは100%自己満足で良い。

誰かに打ち明け是非を伺う必要なんてない。

自分が納得して受け入れられたのだから。

これ以上の事を求める必要はない。

 

 

 

過去起きた事は、自分の中で汚す事もできれば、美談にする事もできる。後悔に苛まれるだけでなく笑い話にする事もできる。これを無意識にする人もいるが、意識してそう選ぶのも賢い。

 

ぼくはこんな手法もよく使う。

まだ月日の経っていない失敗談をあえて人に話し、笑ってもらい、自分でも笑う。それだけで、あっという間にどうでも良い失敗になるのだ。もちろんそこから糧を得る事は必要だが、自分の精神を保つためにはとても効果的な方法。

 

もしかすると、こんな方法を初めてする人にとっては高等テクニックとなるかもしれない。ぼくは最初かなり勇気が必要だった。しかし、ふとした笑い話の時に、口を開いてみると良い。1度知れば、この力の凄さを知るだろう。自分の失敗を話すのはな勇気がいるが、その記憶は自分の中で限りなく小さくなる。

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話を戻し「全ては自分のため思考」だ。

人は自分の成長に対して下向きには捉えない。と感じる。つまり自分の成長の糧となる材料を嫌う人はいないと言えるのではないだろうか。

 

 

 

嫌な記憶という表現をした。かなり幅のある言葉だ。しかし、自分の成長のためと思うと、どこか食いしばる思いが芽生えるように感じる。確かに、今の自分は、その出来事を経て存在している。少々荒療治でも良い。それで自分が楽になれるなら。

 

ここまで書いて言葉を変えるのは気が引けるが「過去の記憶に対して考えを変える」という事。少しストレートでかっこよくなかったため、テーマの通り「全ては自分のため思考」と言ってみた。

 

悲しみや苦しみ、寂しさを乗り越えて人は成長する。言葉はきついが、逆を言えばそれらを乗り越えなければいつまで経っても子供のまま。

これは誰か人を指すわけではなく、紛れもなく自分に対して言っている。

 

過去起こった出来事をしっかりと乗り越えられる人は、これから先起こる出来事に対しても、凛と構えて乗り越える力を持つのではないだろうか。

 

その出来事から着実に学び、着実に得るものを得ていく。全ては自分のために。

全ては自分のため。