てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

進化論

皆さんは固定観念や先入観と聞いて何を感じるだろうか。もしそれが自分自身に言われている言葉だとしたら、あまりいい気持ちではないだろう。しかし、これは悪なわけではない。むしろ、その固定観念や先入観正しいのであれば、堂々と胸を張っていれば良い話。

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ぼくは日本の教育で進化論が教えられている事に疑問を感じる。なぜ人は、ビックバンと呼ばれる、ただの大爆発による宇宙の誕生と、無機質なアメーバの進化から人間はできたと言う話を信じる事ができるのか。

 

それは簡単な話で、学校でそれらが教えられ、それ以外を教えていないからだ。

 

ぼくは簡単な質問をしたい。何もない空間になぜ爆発が起きたのか。なぜアメーバは時間をかけて進化し人間になれるのか。

 

ぼくは子供の頃、虫かごでカブトムシを買っていた。ある朝、動かなくなっていてそのカブトムシは土に埋めた。そして、いつまで経っても、新しいカブトムシを捕まえられず、整ったままの虫かごは空のままだった。

 

そんなただの思い出話ではあるが、

どうだろうか。

 

この虫かごの中に、長い月日が経てば命が誕生するのだろうか。1億年2億年経てば、ここから人類は生まれるというのだろうか。そんな事は物心のついた人間であれば、誰もが有り得る訳が無いと分かる。しかし、その空想がまかり通っているのが現状だ。

 

ダーウィンの進化論。なぜこの説が唱えられ40年以上経った今も、仮説のままなのだろう。

ぼくは地元の歴史博物館に行って驚いた。そこには猿から人間へと進化する過程を表す骨格の模型があった。

その骨のほとんどは粘土でできていたのだ。人間と猿の骨を組み合わせれば当然中間的な骨格にはなるだろうが、その特徴をなすべき骨は全て粘土だったのだ。

 

動物の骨はいくらでも見つかるのに、なぜ人間と猿の中間の骨はどれだけ探しても100%出てこないのか。

 

そして次に解いたのは、そもそも人はアメーバからできたのだろうか。

 

人間の身体を勉強するある整形外科医は、「人間の体が偶然出来上がる可能性というのは、あるゴミ山を爆発し、ジャンボジェット機が出来上がるよりも難しい」と言っていた。

 

手足が自由に動き、怪我をすれば治る。人間にはなぜ心臓が動いているのかでさえ分かっていないのだ。

 

これが全て偶然の積み重ねだと言うのだから、、今ふうの言葉を使うのなら、発想がぶっ飛んでいるとしか言えない。

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ではどのようにして世界は生まれたのか。

それにはID論と呼ばれる インテリジェント・デザイン論と、創造論の二つがある。

 

ID論というのは、この世界は、ある知的生命体によって作られたという考え。創造論はその知的生命体を神と呼ぶかどうかの違いだ。

 

ぼくはここで、神が想像したと大声で言うつもりはない。しかし、日本で教えられている進化論という固定観念は、冒頭で述べたように、正しいものなのか。その先入観は間違っていないのかを問いたい。

 

ぼくははっきりとそれが間違いであると言い切る。しかし、ぼくが他2つのどちらを支持するかは、あえて言わず、読んでいる方がそれぞれ何を思い、何を考えるのかに留めておく。

 

もしかすると、進化論者達に「それは先入観であり、固定観念だ」と、ある人達からは言われるかもしれない。その時胸を張って堂々と意見を言える人はどれだけいるだろうか。ぼくはこれまでの人生、この論争を何度かした事がある。ぼくは1度として言いくるめられた事がないのは、進化論の証明には欠落している点がいくつもあるからだろう。

 

こんな事を書くと、一部の人からはバッシングを受ける事は分かっているが、あくまで問いかけ。また、ぼくの立場をあえてはっきりさせなかったのも、その時の保険だ。

 

皆さんは今何を考えるだろうか。

もし進化論が正しいのであれば、未来の発達した人間達は、間違いなく今のぼくらを「猿」と呼ぶだろう。ある時から猿が勝手に自分たちを人間と呼び始めたに過ぎないのだから。

進化論を支持すると言う事は、このヘンテコな秩序もまた正しいと認める事になる。

 

 

 

この世界には知恵が満ちている。

この進化論と対峙して、ファーブルという人がいる。「ファーブル昆虫記」と言う本は知っているだろうか。

 

虫1匹捕まえて研究するも、そこには人の知らない仕組みが満ちていた。虫の行動一つとっても、人には理解し難い不思議がたくさんあるのだ。そして彼もまた、「これが偶然に生まれた生命だと言うのは、到底考えようが無い」と言った。

 

もう一度、誰もが当然のように持つ固定観念や、先入観は正しいものか。その確信はどこにあるのか。誰かに聞かれる前に、自分の答えを1つ出しておいて損はないだろう。