てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

特別なぼーっとする時間

ぼくは気持ちが滅入った時や、自分自身に落ち着きがないと感じた時、椅子に座って何分かぼーっとするようにしている。

 

もともとは、頭から離れない不必要な思いや、耐えがたい境遇の中で、半ば現実逃避のようにして、こんな事をしていたのだが、だんだんとこの時間に意義があるように思えてきたのだ。

 

 

ぼくは後々マインドフルネスという言葉を知るが、ここではあえて「ぼーっとする時間」として表現していきたい。ぼくは脳内の仕組みなどはよく分からないが、この時間を持つようになり気づいた事が色々あった。その中で、今回フォーカスを当てたいのは「忘れたい事は忘れられる」という事だ。

 

誰しも忘れたい記憶の1つや2つはあるだろう。少なくともぼくには沢山あった。思い出すとその時の情景が見えてしまうのだ。

一応、記憶にはいろいろな形があるが、今回はトラウマやフラッシュバックは別の話とする。もしかすると、これらもこの方法で忘れられるかも知れないが、心の傷という点では同じようには取り扱えない気がするから。

はい。

 

では話を戻すが、忘れたい事をどのようにして忘れるか。少々暗示的な面もあるが、ぼくはぼーっとする中で、それらの事を一度思い起こさせ、そこからもう一度ぼーっとする事を意識する。これもまたマインドフルネスの中に含まれてしまうようだが、一応ぼくのオリジナルとしてここにまとめる。

 

どうもマインドフルネスという言葉を使うと、方法論としての、呼吸やら、意識やら、集中力など、ルールが強調され、むしろ余計なことばかり気になってしまう。それなら、同じ事をするとして「ぼーっとする」という、至って個人的で本人に一任させたやり方の方が、分かりやすいし やりやすいであろう。

 

さて、

ここまで来て1つ疑問に思う方がいるかもしれないが、それは何を持ってして忘れたと言えるかだ。

 

ぼくの場合「あ、この瞬間。いつも何かの出来事を思い出してた気が…でもなんだったっけ。」と思えたら成功だ。この時も、無理に思い出さず、むしろ思い出さないために、再度ぼーっとするようにぼくはしている。ぼくはこの一瞬ぼーっとする事を「脳をフリーズさせる」と呼んでいる。ひとりで。

 

なんだか少し怪しい雰囲気がかもし出されているが、いたって人間的な事なので安心してもらいたい。

 

実際、マインドフルネスと言うのは脳科学的に証明されている事なので、そこら辺は都合よくぼくの言う「ぼーっとする時間」にも適応させて信憑性を高めてもらいたい。

 

 

 

 

ぼくが何も考えずぼーっとする事をし始めたのはそんな昔からではない。むしろ忘れたいと願ってするようになったのはここ数ヶ月の話。

しかし、こんな事をしているうちに、よく聞く『忘れたくても忘れられない』と言うのは一般論としての真実でない事が分かった。忘れられない事も、忘れると言う事に集中すれば忘れられるとぼくは言いたいのだ。

事実ぼくは忘れられるようになった。

 

嫌な記憶、思い出というのはタチが悪く、楽しい生活の中に突然、針として現れる。言ってしまえば、そこには教訓もなければ、励みもなく、損以外の何者でもないのだ。それなら、1日でも早くそんな事は忘れて、今を楽しんで生きようではないか。

 

間違っても「忘れたいけど忘れられない」と言う惑わしを真に受けてほしくない。
逆にぼくの言う「忘れたい事は忘れられる」と言う事をチャレンジしてほしい。

 

マインドフルネスの方法論も調べてみて損はないだろうが、同じ事をしているなら、ぼくは堅苦しくせず、ぼーっとするの一言で終えて良い気がする。

 

今回は「忘れる」と言う事にフォーカスを当てたが、このぼーっとする時間は、他にも色々な意義があるように思える。無理に我慢大会のように、長い時間する必要はない。深呼吸するその一瞬だけでも意味がある。自分のために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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