てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

認められる→認める立場へ。

昨晩からどんな事を書くかは

決めていたのですが、

 

今朝起きて、

ベッドの上、眠気まなこのまま

最後まで書き切りました…。

 

ぼくの思考の流れ…

ちょっと軸がブレブレで

ふわふわしていますがすみません。

 

お題で書く時は 添削し尽くすのですが、

あえて書いたままも良いでしょうか。

 

読みづらかったらすみません。

 

 

では。

 

歳を重ねるにつれ、

だんだんと人から認められる立場から、

人を認める立場へと

変わっている気がします。

 

一番最初にそのことに気づいたのは、

日本のスポーツ選手を見る時。

 

これまでは、

自分より年上の人の

成功する姿を見てきたけど、

だんだんと、自分より年下の人の

の成功を 見るようになってきました。

 

これは けっこう複雑な気持ち。

プライド?なのかな?この気持ち

きっと分かってくれる人はいるはず。

 

なんとも器の小さい話で

恥ずかしいですがそう感じます。

 

年功序列というのは、上の人から認められる事でピラミッドが成り立っていくんですよね。

たぶん。

 

 

もしかすると、

自分自身が人を認めると言う経験は

しておいた方が良いのかな…

なんて感じます。

 

でなければ、

上の人間から 何を持ってして

認められたと確信する事が難しいのかも。

そんなこともないか。どうだろ。

認められたことがないから 分からない…

 

人から認められたことのない人間は、

人を認めることが難しい、とも感じます。

 

 

認められる→認める。

何か良いプロセスは無いだろうか。

 

最初の話からは少しズレているが、

このまま続けます。

f:id:TekuTekuLife:20210328093039j:image

最も健全なのは、

努力し、上の人から認められ、

歳を重ね、自分もまた、

努力する人間を認めていく事。かな。

 

じゃあその真逆は、

努力を知らず、

当然 上からも自分をない者と見なされ、

不貞腐れ、

下の人間がどれだけ努力していても、

屁理屈を言って見て見ぬ振りをする人。

合ってるかな?

これは かなりくせ者ですね。

 

じゃあ人間は誰しも

前者を目指すべきなのだろうか。

 

んー。

どちらの人生が楽しいか…

 

んー。

認められる 認められないに 関わらず、

努力できる人間 であるべき事は確か。

 

認められる 認められないは

そのに努力に付随する…、、

 

まずは能動的に努力する事が大切か。

次に、自分自身も努力した人間として、

下に続く者を認める。

 

これが自分にできる精一杯の事か。

 

 

 

 

なんとなく話がまとまってきた気がする。

 

人からの評価ではなく、

その人自身、自分をちゃんと受け入れる…。

これ大切かも!

 

 

たしかに、

先に挙げは器の小さい人間は

努力する者、成功する者を拒む。

 

比較し、

劣っている自分を見たくないから。

 

もしかすると、

そもそも 自分を受け入れられない人は、

当然 人も受け入れられないのかもしれない。

 

なるほど。

 

つまり、

人を認める 認めないかは、

自分を認められるのか、認められないかが、

大変 重要なような気がしてきた。

 

いや、

これが答えのように感じる。

 

大事なのはまず、

自分という人間がどういう人間か知り、

受け入れる。

 

ここでポイントなのは、

自分がどんな人間であっても受け入れる事!

 

なぜなら、

何かできる自分しか受け入れられないと、

何かできなくなった時に、

自己嫌悪に陥るから。

 

何ができる できないに関わらず、

正しく自分を見て、理解し、受け入れ、

認める。

 

その土台があった上で、

人を見る目というのが養われるのかな。

そして 人を認められるようになるのかな。

 

 

 

んー、、

ぼくにとっては難しい話だ。

まだ若いから許してちょ。

 

以上、ぼくの頭の中の話でした。

では今日はここら辺で〜。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日 19時に更新してますので、

また立ち寄ってください(^^)!

 

読者登録もよろよろで~す♪