てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

自分と環境 2つの要因

身の回りで起こるあらゆる物事には、自分自身という要因と、環境という要因がある。

 

この2つは実は分けて考えるべきであるが、多くの人は、この2つがごっちゃになり悩む。自分自身の責任に加えて、自分ではどうにもならなかったはずの環境に対しても責任を負ってしまうのだ。

 

悪い出来事に対して、環境が悪かったにも関わらず、精一杯の努力をしたはずの自分を責めてしまうが、そこには慰めの余地がある。

 

決して悪いケースではないが、この逆もあり得る。良い出来事に対し、自分の努力や実力など何の意味もなしていないにも関わらず、環境要因も含めて自分の力と過信してしまうのだ。運も実力の内と言うから、あまり煽りはしないがそう言うケースもある。

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では、実際にある出来事に対して、自分が取るべき態度は何か。まず、自分という要因と、環境という要因を2つに分ける。そして、自分の取った行動を見つめる。

 

大切なのは、その出来事の良し悪しではなく、自分が精一杯の力を出したのか、そうでなかったかだ。

 

あとは皆まで言う必要は無いかもしれないが、その時々に応じて反省できる人間は強くなるだろう。後悔するのか、自分を認める事ができるのか。結果、着実に反省を得て次に進もうとしているのだから十分。

 

ここで言いたいのは、自分と環境のどちらも背負って後悔に終わるのではなく、しっかりと自分にできた事を見つめ直す。
そして、自分の手ではどうにもならない環境という要因を背負わずに割り切って見直すと言う事。

 

これは昔、
ぼくの先輩が教えてくれた事だ。

 

ぼくが、ある事柄に対して悔しがっているのを見た先輩は、ぼくが実は最大限の努力をしていて、実は環境が悪かったと言う事をはっきりと見してくれた。

 

そこにややこしい話はない。
はっきりと2分する事ができるのだ。

 

ぼくの後悔は無くなった。ただ、次同じような環境でパフォーマンスする時にどのように対策を取れば良いかを考えるようになった。

 

これまでの人生を振り返ると、この2つがごっちゃになり、全部を背負って悩んでいた事が少なくなかったように思える。

 

また同時に後悔というのは、個人の世界観に過ぎないと言う事も気付かされた。自分だけの主観だけで見るのではなく、多面的に物事を見る。そこにあるのは、ただ自分という1人の感想ではなく、いくつかの声となる。

 

また、先に置いた前提を覆すようではあるが、狭義としての環境は手の施しようがないが、広義では自分の手を加える事ができる可能性も感じる。だから、自分では変えられないものと、変えられそうなものを見分ける力も身につけると良いだろ。


自分の世界観から出る事で、より一層その出来事から得る実りは多くなるはず。

特に悩み癖のある人は、自分と環境、2つに分けて考えてみてはいかがだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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