てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

自分の中にある色眼鏡

この色眼鏡の存在に気づくか気づかないでは、見る世界が変わる。

 

この色眼鏡。よくいう言葉では、偏見と言ったり、固定観念、先入観と表現される事もある。そこには経験則や感情のというのも含まれるだろう。

 

個人的には色眼鏡という言葉が好きで、
分かりやすい気がする。

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白い物を見る時、自分が緑色の色眼鏡をかけていれば、当然それは緑に見える。色眼鏡をかけずにそれが白く見える人たちに、いくら白と言われても、話が噛み合うはずがない。


そんな人に「固定観念を捨てろ」とか「緑に見えるのは偏見だ」と言っても、なかなかわかってくれない人が多い。

 

先入観や固定観念と言うのは良い意味では使われない。むしろ、頭の硬い人や、視野が狭い人に対して使われる。願わくば、そんな陰口は言われたくない。

 

ここで何を話したいかと言うと、誰もがそれぞれの色眼鏡を持っているものだが、色眼鏡を外して見るという選択肢を持つ事。

 

「今自分が何色の色眼鏡をかけているのか」
言葉を変えるなら、自分の中に偏見はないか。先入観に囚われていないか。どんな経験から自分の意見を持っているのか。一般的に、この色眼鏡を外せる人を「頭の柔らかい人」と呼ばれるのだろう。

 

もしかすると、自分自身の色眼鏡を外す経験から、固定観念に囚われる人をその呪縛から解く術を知る事ができるかもしれない。

 

適切な例となるか分からないが、ある1人の人が歌手を目指すとする。それが部活の先輩なら自分はどのような反応をするだろうか。
それが会社の同僚なら。
それが自分の兄なら。
妹なら。

 

仮に、その人が並外れたスキルを持っていたとしても、そのスキルに対して、一方では鼓舞し、一方では卑下する事があるのではないだろうか。特に身内事となると、人はかなり視野が狭まるように感じる。そこには、思いやりの心があるのかもしれないが、もう一度、色眼鏡なしにその人のスキルを見てあげるのも優しさだろう。

 

頭が硬い人間よりは、頭の柔らかい人間になりたい。この色眼鏡を自由に外し物事を客観視できるスキルは、人間の価値を高めるのではないだろうか。

 

短いですが今日はここまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

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