てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

過去は変えられる

「過去は変わらないが未来は変わる」
どこかで聞いたことのあるフレーズだ。

 

しかし、
ぼくはこの言葉が正しいとは思わない。


過去は変わるし、ぼくは過去を変えてきた。

過去起こってしまった出来事というのは厄介で、人間の内面に残る心的外傷や、後悔や恥というのはそんな簡単には無くならない。治る治らないどころか、生涯その傷と共に生きる人がほとんどだ。

 

しかし、過去は変えられるとぼくは思う。

 

それは、過去に対する客観的な見方、価値観、同情や哀れみなどの新たな感情の上書きによって。

 

もしかすると、この作業をするにあたっては、ある程度の酸いも甘いも知る必要があるかもしれない。


という意味では、まだ出来事から時間が経っていない若さや、初心が残っている内は必ずしもここで言う過去を変えると言う作業は難しいかもしれない。

 

具体例を挙げると、誰かの現状とマッチして、その人を追い詰めかねないので自分の経験談も交えて話したい。

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過去と向き合う上で、踏まえておきたい事は、あくまで現状の自分自身にフォーカスを当てる事。過去起こったことには、自分自身の深い感情が絡みついているが、自己憐憫に陥るのではなく、今の自分を意識するのだ。

 

過去だけを見つめるとこれまでの静まっていた感情が思い起こされ、冷静に見つめられなくなってしまう。だから、今、冷静にこれから先きていく自分のためと言う明確な目的が大切になる。

 

 

ぼくが小学2年生の時、

同じ家に人格障害を持つ女性が一緒に住む事になった。彼女は少しでも不満があると暴れる。重度のうつ病も患っていた。母親はその女性を宥めるのに必死。

父親は半別居状態になり、我が家に秩序は無くなった。兄弟3人。兄は中学に入ってから家にあまり帰って来なくなった。妹はPTSDになり、妹までも暴れるようになるなか、ぼくは家にいた。

 

子供とはなんとも無力で哀れで惨め。自分を守る力はない。まだ人間と呼べる段階まで成長していなかった。

 

大人になった人間は器用に、嫌な記憶は自分の中のブラックボックスに入れてしまうようだ。そしてぼくは、そのブラックボックスを開けた。

 

おそらく丸腰では一発でやられていたが、ぼくには当時持っていなかった武器があった。

 

子供の頃には持っていなかった経験則。価値観。感情の処理。その女性に対する同情も。
ぼくの目的は、その人を守ることではない。今後の自分がイキイキと生きるため。

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その女性は実はひどい虐待から逃れて我が家に来た。一家団欒の場が生まれると、不安定になり暴れていたのは、他人の家庭の幸せなど見たくなかったからだろう。

 

そして感情の上書き。
ぼくは、その女性が妬ましくてたまらなかったが、今思えば、我が家にかくまわれる事で、その人の荒んだ人生も癒えて、今も生きられているのだ。


とことん自分の家をないがしろにしてきた両親であったが、それでも、形だけでも家族というのを保ってくれた。

 

加害者を憐れむと気持ちがすっきるのかもしれない。また、その出来事を自分にとって「良い経験になった」と一つの経験則として受け入れるのは得策に思える。全て自己満足で良い。

誰かに説明する必要もない。

 

ただ、それがもし自分が加害者だったら。開き直れとは言わないが、それでももう一度、過去を見つめるべきだ。もしかすると、自分が生きる僅かな逃げ道も残されているかもしれない。

 

その他、ぼくの中の全ての嫌な思い出は処理した。変わらないと思っていた過去は変わった。そして、当然の事ながら未来も変わる。

 

 

スッキリした時には是非

「では今後どう生きようか」と前を向きたい。

 

 

過去に打ちひしがれて、時に自己憐憫に沈む事があっても、しっかりと抜け出して前を向く。

 

 

過去に対する見方を変える。今の価値観、培った経験則。客観視、新たな感情の上書き。

やっぱりぼくは過去は変えられると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

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