人と比べない とは
人は皆同じスタートラインから走り出し、やがては、真っ平らな同じ土台の上に立って生きていく。と、ぼくは感じ そこに不公平さを感じていた。
同時にスタートした人達がどんどんと前に走っていく中、ぼくは走り出して早々、重い荷物を背負わされ、靴も履かせてもらえないまま無理矢理背中を押され、進まされているような気持ちだった。正直言って生きづらい。
人と自分をあまり比べた事のない人間に限って、人と比べるなと強要してくる。その本意はどこにあるのか。その言葉の意味が分からないぼくにとっては、あまりに説明不足で乱暴だ。
皆 同じスタートラインから。比べるも何も、誰の目から見ても、誰が進んでいて誰が遅れているかは一目瞭然ではないか。
しかしぼくは、この事について何も考えず、漠然とした勝手な解釈でそのよう思い込んでいたが、自分の力でよく考えた事がなかった。
そして、この事について考えようと、靴を履いて夜道に出た。時間を惜しまず、答えが出るまで歩き続ける。
もしかすると、「人と比べる必要は無い」と言う言葉には何か根拠があるのかもしれない。
既にかなりの距離を歩いた。そして、自分の中に一つの答えを見出す事ができた時、長いこと背負ってきた重荷を下ろし、気づいたら涙が出ていた。
ぼくは物事を考える時には、極論を2つ出して、正解を探すようにしている。
例えば、(三角っぽい丸)が良いのか、(四角っぽい丸)が良いのか答えが分からない時。どちらも長所があるのだろうが、極論(三角)と(四角)どちらが良いのか分かれば、答えを出すのは簡単。四角が良いなら、当然(四角っぽい丸)がベストだと分かる。
大概この思考で、自分の納得する答えを出してきた。
そして今回の例だと、
お金持ちの子と貧乏の子。もちろんぼくは後者のつもりで話を進めるが、お城で生まれた王女様と、人の畑から野菜を盗まないと食べるものがなく生きていけない子供。
ぼくはこれまで、人は皆同じスタートラインから走り出していると思っていたが、ぼくの目には、どう考えてもこの両者が同じスタートラインに立っていたとは思えなかった。
方やご飯を食べるために 右手と左手にナイフとフォークを握らされ、方や人を殺すための銃を両手で持たされる。
ぼくは同時に人は真っ平らな同じ土台の上に立っていると考えていたが、それも違うと気付いた。同じ土台どころか、全員バラバラ。高いところに居る人もいれば、低いところにも居る人もいる。陸続きでもない。それぞれが点在しているのだ。
それぞれの場所に優劣の差はないと信じたい。
人は皆 同じ一本道を進むのではなく、それぞれが自分だけが進む道を持っている。当然、それぞれが置かれている場所も違う。
「人と比べる必要がない」と言うよりは「人と人とは比べようがない」と言う結論に至った。
もちろん表面的なことを比べるのは簡単だが、ここで言いたいのは根っこの話。
自分を責める気持ちはなくなった。
一人涙を流しながら夜道を歩いていたのは、良い記念となるだろう。
ぼくはぼく。
ぼくだけが進む道。
ぼくだけが立つ場所。
立ち上がるのは、少し後。
進み始めるのも、少し後。
疲れたからそこで ひとり、少し休む。
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