てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

「怠け癖」と「努力癖」

一見 分かりづらい言葉。
しかし、そこの間に人が目指すべき生き方があるらしい。結論から言うと、これからの人生「やや努力癖」で生きようと言う話のようだ。


四捨五入。
今までの自分の生き方は「怠け癖」が強かったか「努力癖」が強かったか。ぼくは決して怠惰な生活は送ってきたつもりはないが、しぶしぶ怠け癖が少し多かったと思う。あなたはどうだろうか。最近の話ではなく、これまでの自分の人生を思い返すとどうだろうか。

 

改めてぼくは、

努力癖のある人間ではない事を痛感する。

 

努力ばかりでは疲れてしまうから、時には休息は必要だが、怠ける事とは一線を画す。

 

世の中には「頑張りすぎない」という言葉がある。しかし、今回のテーマに合わせて言うなら「少し頑張れ」と言う話になる。似ているようで、正反対。

 

なぜ「やや努力癖」や「少し頑張れ」と言うのか。


それは簡単で、
人というのは気を抜けば勝手に怠ける生き物。逆に努力というのは自分の意思がなければ起こせない。

ある分野においてはちゃんとした努力が求められるが、まずは日々の生活から。本来なら当たり前、の事だが少しの努力を意識した生活。

 

ご飯を作る。洗い物をする。トイレ掃除。お風呂掃除。洗濯物を洗って畳んで。歯を磨く。

実はちょっとした努力の積み重ね。

 

怠け癖のぼくが

頑張って作った麻婆茄子の写真を一枚。

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美味しそうでしょ。

 

 

 

 

 

「癖」と言うのは、実は意識している内では、「癖」とは言わない。「癖」と言うのは、無意識に行動できるようになって、初めて「癖」と言えるのだ。「やや努力癖」をつけるには継続が大切。

 

ちょっとした努力がいずれ当然の当たり前となり、自然と回る生活の中で自分の「やや努力癖」を獲得するのだ。今あげた例は初歩の初歩。日々の「やや努力」から、ある人は勉学へ、ある人は運動へ、またある人は仕事へ、またある人は人間関係へ。「やや努力癖」の生き方は、ゆっくりではあるが、日常を豊かにしていくのがよく分かる。

 

これは、あくまで大まかな一般論であるから、個人からの反対意見はあるかもしれない。しかし、スーパーマンじゃない人間はこのくらいでちょうど良いのではないだろうか。

 

「やや努力」それだけで十分。

おそらく読んでおられる方も、一つや二つ少し努力してみようと、頭に浮かぶ物があるのではないだろうか。無意識の内に努力できる人間は強い。


長い目で見て「やや努力癖」を意識してみると、生活が楽しくなりそうだ。無意識に努力できる人もたくさんいるだろう。その中に自分も混ざってみたいものだ。それは少し先になるかもしれないが、継続していく内に、気づけば達しているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

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