てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

ぼくの家の話1。

このブログでぼくは、嫌な記憶とか、忘れたい過去とか、トラウマとか、フラッシュバックという言葉がしばしば出している。

 

それは

ぼく自身にそういう過去があったり…

なかったり…

 

その事を少し書こうと思います。

はじめに言わなければならないのは、ぼくはすでにその家から出ていて、その過去も処理できていると言う事。

 

家から出るというよりは、

もうみんな散り散りになっている。

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あまり暗い話にはしたくないので

あっさりと事実だけを書いていきます。

 

 

 

 

ぼくが小学2年生の時、ある人が家族に加わった。その人は20代の女性。なんの病気だったのかはいまだに分からないけど、何かしらの精神疾患を拗らせていた。その女性が家族となった経緯は、その女性が子供の頃から、実の母親からひどい虐待を受けていた事から。

 

その母親というのは、ぼくの家族がとても親しくしていた人だったので驚いた。物腰が柔らかく、貴婦人のような落ち着きのある人だった。

 

その虐待の事実は、女性本人から聞いた。その虐待の内容は、信じられないほどにかなり過激。ここにはとても書ける内容ではなかった。

 

そんな事を知りぼくの両親は、その母親と彼女が共に生活していては、彼女が死んでしまうと判断し、我が家に引き取ると言ってしまったのだ。

 

この時はまさか11年間もの間一緒に住むなんて、誰も想像していなかった。

 

 

 

その女性が家族となり、最初はみんな歓迎ムードだった。これまでにも付き合いがあったため、新しい兄弟ができたような気持ちであった。しかし、だんだんと彼女の本性が見えてきて、やはり心の病があったのだろう。1度不安定になると大暴れし、ぼくの母親が1日中付きっきりで宥めなければならない。長ければ数週間はその状態。

 

叫んだり暴力は当たり前。夜な夜な母と喧嘩しては、朝起きると母があざや、引っ掻き傷でボロボロになっている事が日常茶飯事だった。

 

彼女が不安定になるのはいつもきっかけがある。自分の行動や言動のせいで不安定になったのではないかと、いつもヒヤヒヤしていた。

 

全員が彼女の顔色を伺いながら生活していた。どのような言葉で彼女を表現できるかな…

いつもみんなに見せている顔は本当に天使。しかし一度不安定になるとおぞましいバケモノになる。凶暴で口が悪く、物を壊し、母親を殴り、引っ掻き、その目つきは、とても同じ人間とは思えない。

 

 

 

 

 

ぼくが一番よく覚えている話がある。ぼくのせいで、彼女を不安定にしてしまった話。

 

 

 

 

 

ある日、彼女を母が宥め落ち着けた日。

家族みんなでたこ焼きパーティーをする事になった。彼女の機嫌が良ければ ぼくらの機嫌も良い。ただ、全員が彼女に対しては最善の注意を払い、言葉を選び、行動を選びたこ焼きの用意が進んでいく。

 

そしてパーティーは始まり、とても順調。みんな楽しそうだった。そんな中、たこ焼きを焼くのを父から彼女に変わった。それだって彼女を気遣っての行動だ。

 

そしてぼくがやらかした。

 

彼女が生地をプレートに流し、焼いていく。

そして途中で「生地が少ないかな…」と言って、ある程度焼けてから、生地を途中で追加しようとした。

 

それに対しぼくは、

「今入れたら、最初から焼いてたところと混ざって上手く焼けないんやない?」と言った。

 

ただそれだけ。

 

しかし、

その発言で彼女の気に触れてしまった。

 

彼女は口を開かず、すっと立ち上がると扉を勢いよく閉め、自分の部屋に行ってしまった。

 

現行犯。「ぼくのせい」

家族はその瞬間、みんなため息をつき、何も喋ることなく、冷たい目でぼくを見た。

ぼくがまだ小学校の頃の話。

 

ぼくはうずくまり、涙を堪え、小さな声で「ごめんなさい」と繰り返し謝った。殴られるのではないかとビクビクした。みんなの視線が怖く顔も上げられない。

 

母は連日、彼女を宥め続けていた疲労もあり、ぼくに対し「許してもらえるまで、謝ってこい!」と言い、ぼくを彼女の部屋に放り込んだ。母からは怒り…憤り憎しみ殺意すら感じるほどだった。それだけ苦労して彼女を宥めたのだろう。

 

部屋は真っ暗だった。部屋の奥から彼女の泣く声が聞こえる。ぼくは部屋の隅で土下座し、泣き叫ぶように「ごめんなさい」と何度も謝り続けた。「自分が何か悪い事をしたのだろうか」なんて疑問はない。「自分はとんでもない大罪を犯した。」ただそれだけ。

目の前にいるのはバケモノ。

残念ながらその後の記憶は何も覚えていない。

蹴られ殴られしたのか、言葉で怒鳴られたのか、すんなり許されたのか、何も覚えていない。

 

 

これがぼくの家の日常。

毎日こんな感じ。

 

 

 

こんな話は、例を挙げればキリがない。

こんな生活が11年間続いたのだ。彼女が家を出て行ったのはぼくが高校3年生の時。

何もかも奪われた。

 

不条理。

しかし、ぼくは他の家の事なんて知らない。どの家もこんな感じ?それとももっと大変?

分からない。

 

彼女が絶対。

彼女が全て。

 

この彼女が最後どのように姿を消したのか。

んー…これもブログでは書けないか。

大変奇妙な終わり方だった。

 

 

 

どうだったでしょうか。

さっぱり書いたつもり。

 

他にも書きたい事はたくさんあるけど、

今日はここまで。ではまた。