てくてく日和

Fiction&NonFiction 20代男一人暮らしの趣味ブログ

悪いのは誰、

ある人が虐待を受けて育った。

心に傷がつくと言う表現があるが、ぼくは傷はもちろんの事、完全に形が歪められたのだとイメージする。

 

人の心の形というのは、日々変化するものなのか、それとも死ぬまで同じ形なのかは分からない。ただ、「三つ子の魂百まで」と言うことわざは、科学的に実証されており、その言葉の意味は「3歳(生まれてから子供と呼ばれる内)に体得した性格は100歳になるまで、つまり一生変わらないと言うものだ。そしてぼくはこれが事実だと理解する。

 

書き始めて早々だが、ここから、これから親になる人に伝えたいのは、せめて子供が3歳になるまでは、嘘偽りのない愛情を持って育ててあげてほしい。その後、少々 手をかけられなくなっても、親に愛されていると言う安心感だけで、子供は既にたくましい。

 

さて、この方向に話を膨らませたいわけではなく、その真反対の親の下で生まれた子供の嘆く声に耳を傾けたい。

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今から書く考えに直面する人は、あまり多くはないかもしれない。彼はこう言った。


彼はまず、自分を虐待した親も、その親、つまり その人のおじいちゃんおばあちゃんから、虐待を受けて育ったのだと言った。彼が何故それを知っていたのかは分からない。そして、ぼくは、だからと言って親のした事が正当化されないだろうと感じた。

 

そして彼はこう続けた。
子供は親という存在を、自分の親でしか知れない。つまり、自分の親の姿を見て、その人も親になるのだから、虐待されて育った人間が虐待する親になるのは不思議ではないのだと。

 

何か言い返したい気持ちがあったが、彼の気付いた事は紛れもない事実のようにも感じた。

自分の親から受けたものを、自分の子供にもしてしまう。それを思うと、自分を虐待した親をも哀れんでしまう。しかし、自分の歪められた心が生きているのも事実。親を恨めなければ、その親である、祖父母を恨むべきなのか。そこには答えのないジレンマがあった。

 

そもそも、恨まなければいいという素朴な疑問が出るかもしれない。確かに、その様に成れるならそう成りたい、ただ自分の歪められた心を素直に受け入れられるには、時間がかかるのだ。自分の見てきたもの、聞いてきたものが、今の自分を育んでいるのが現実なのだ。

 

ここまでの彼の話を聞いて、感情を爆発させて親を恨む人がいる中で、彼は達観しているが故の葛藤、いや、恨む気持ちを捨てることのできるゴールに近づいているように感じた。

 

彼の立っている位置はどこだろうか。
先に述べたような親を「毒親」と呼ぼう。毒親とその子供は悲しくも、親離れできずに同化している事が多い。その内「アダルトチルドレン」についての記事も書こう。同化しているが故に、線引きが分からず漠然とした怒りと憎しみを抱えてしまう人が多いのだ。しかし、彼の目線は十分に親から自立し、冷静に答えを出そうとしているのではないだろうか。

 

少々取り留めのない話になってしまったが、
自分に悪さをした人は、その人も同じ悪さをされて、育ったのかもしれない。その相手に対して何を思うかは、自分の勝手。それなら死ぬまで恨むのよりは、少々上から憐れむ事の方が、赦しがあり、自分の気持ちを楽にできるのかもしれない。そして今の自分にできる事は、「自分が受けたことしか、与えられない」と言う事実を覚えて、自分が同じ過ちを連鎖させないように、気をつける事だ。

 

最後に知人の幼稚園の先生が言っていた。

「子供にとっては、親の夫婦仲が良いのが一番大切。そう言う家庭で育つ子と、残念ながらそうでない子とでは、心の成長は大きく変わる。」との事。

 

そう言われると、毒親に限って夫婦仲が悪いのも想像出来る。


被害者だった立場から、少し上の立場に立ってみる。見える世界は大きく違うだろう。

以上。

 

 

最後まで

読んでいただきありがとうございました!

 

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